弘前市の菓子屋はその年の勅題にちなむ新菓子を元旦に作る慣習があった。
しかし、当時の店主は新しいものを求めて上京した。1913年(大正2年)、新橋駅から大阪方面の汽車内で紳士が食べていたバナナの充満する香りに魅了され、
大阪駅に着くと早速バナナを食べ、弘前市に帰った店主はバナナの芳香と味を持つ菓子製作に励み、観桜会の始まりより2年早い16年(大正5年)。研究の末に製法を編み出したと言われている。
昔の弘前市には第8師団が設置されていた。将兵たちはバナナ最中を弘前市当地の味として、次の赴任地に移ってからも注文した。当時からそれほど人気を集めた菓子です。
いなみや菓子店で修行した菓子職人たちが、各地域で独立開業したおかげで、現在、弘前市をはじめ津軽地方や秋田県北部にバナナ最中が広く分布しました。
南部煎餅、鯨餅とともに地域に密着・分布した郷土の歴史と風土が詰まった大切な菓子です。
昔ながらの製法を守りつつ、時代にあった新しさを取り入れながら昔からの菓子から新しい和菓子の美味しさを皆様にご提供させていただいてます。
お土産・冠婚葬祭・季節の贈り物にはもちろん、ぜひ当店へお越しください。
いなみや菓子店では毎年敬老の日に老人ホームへのお菓子の寄付運動を行っています。
弘前のいなみや菓子店は伝統を守り続けながら、時代にあった新しさを取り入れ、和菓子のおいしさを皆様にご提供しております。
お祝い、お土産、ご贈答、ご進物、ご慶弔にもご利用頂いております。